Q&A

つくしの園庭に、十字架の建物がありますね。

はい、よく気づかれました。
わたしたちがいつも大切にしているチャペル(礼拝堂)です。
つくし保育園はキリスト教精神に基づいて保育、運営を行っており、入園、卒園の式やクリスマス会など大事な節目のとき、この礼拝堂に集まり、一緒に神さまに祈りをささげ、聖書の言葉に耳をかたむけ、12月になると子どもたちはクリスマス降誕劇(ページェント)を捧げてくれます。
他にも、月ごとの幼児グループの誕生会、時には講演会を開くこともあります。
もちろん、各お部屋の生活も、朝や食事のときなど、いつもお祈りと共にあります。
子どもたちは、神さまからお預かりしている大切な宝もの、神さまに愛された尊い人格として重んじて共に生活するという、私たちの育ての心は、このチャペルで私たち自身がいただいた神の愛の言葉にその源泉があります。
チャペルは、正式には、つくし保育園の設立母体である日本キリスト教団醍醐教会の礼拝堂です。
毎週日曜朝10時30分から教会の日曜礼拝を行っています。
子どもや家族連れでみなさん通ってこられますので、もしご興味あれば、ぜひ一度日曜日にもお越しください。
歓迎いたします。
牧師によるキリスト教のお話も、楽しくわかりやすいですよ。

つくし保育園は、テレビやスマホを観ないのですか?

つくし保育園では、日々の生活を通じて、神さまがお創りになった大自然の恵みと愛のぬくもりをたくさん感じてほしいと願っています。
でも、テレビやスマホからの情報は刺激が多すぎて、自然の発する小さなささやきや奥深いメッセージを、まるでブルドーザーのようにかき消し、押し流してしまいます。
それではあまりにもったいない。
大切な子ども時代だからこそ、本物の自然からのかすかな語り掛けに耳を澄ますことのできる、柔らかい感性をはぐくんで欲しい。
子育ては親御さんにとっても二度と戻らない貴重な時間。
それらをテレビやスマホに奪われることなく、子どもの心と真正面から、さらにじっくり向き合うときとしてください。
子どもたちが一緒にいる時はできる限り、テレビやスマホのスイッチを消してみませんか。

つくし保育園はキャラクター製品を特ってこないのですか?

つくし保育園の落ち着いた雰囲気の生活を通じて、じっくり遊び込める子どもになって欲しい。
集中力や持続力、自分をコントロールする力も、遊びの中で自然に身につけることのできる副産物です。
そのためにも園の室内、園庭の環境を整えることに私たち保育者は日々心を配っています。
けれども、強烈なインパクトをもつテレビキャラクターは、築いてきた保育環境を一瞬にして脇へおいやり、子どもたちの関心を強引に奪い取ってしまいます。
ある意味、子どもたちはキャラクターが大好きです。
日本のテレビ業界はアニメとともに売り出すキャラクター付きのおもちゃ、衣類、食器靴など、生活を取り巻くあらゆるものを売り込もうとしています。
次から次と新製品を発売し、それを買ってもらった一人の子どもが、キャラクターのついた鞄やタオルを持ち込むと、どの子も触りたい、自分も欲しい、手に入れたい対象になってしまいます。
子どもたちの無用のトラブルは少なくしたい。
また、精神面においても、テレビやスマホ、アニメやゲームなどから特に直接的な影営を受けやすい幼い時期は、子どもたちはすぐに変身が可能だと思い込みがちで、人工的なキャラクターになりきってしまい、落ち着いて遊ぶことが難しくなる一因ともなっています。
また、アニメの中のヒーローは、みんな「正義の味方」とされていますから、彼らのように容赦なく相手をやっつけてもいいと思い込んでしまう子もいます。
ちなみに、小学校や中学校で、いじめは依然やむ気配はありません。
いじめる子どもはほんの一部かもしれませんが、その他大勢の子どもたちもまたそのいじめを止められないでいるのが現実です。
幼児期に広まっているキャラクター遊びが本当の「正義の味方」を育てているなら、このようなことになっていないはずです。
どうかご家庭で、もう一度、テレビやスマホなどメディアとの付き合い方について考えていただけたらと思います。
ちなみに、スヌーピー、ディズニーなど、戦いものではないキャラクターもありますが、これもだめ?これならいい?といった判断に悩まれることのないように、園としては持ち物や衣類はなるべくシンプルで、キャラクターのない動きやすいものをお勧めしています。
年長にもなると、ブランドやキャラクターものに関心が集まり、高価なものも競って買って欲しがることもあるようですので、お互いに良識を働かせ、持ち物を選んでいただければと願っています。

つくし保育園は、布おむつと聞きましたが?

ぜひともこれを機会に、布おむつに親しんでください。
確かに最近の紙おむつの性能は驚くばかりです。
しかし、だからといって、私たち大人は普段、紙パンツをはこうとは思いません。
なぜでしょう。きれいに洗って乾かした布の肌着の気持ち良さを、言われずとも知っているからです。
赤ちゃんだって同じこと。
いや言葉でなく心で感じる赤ちゃんの時代こそ、愛情込めて洗い乾かしてもらった布おむつの心地よさを全身で味わい、覚えてほしい。
おしりがぬれちゃったと泣き声をあげたら、必ず、あたたかいまなざしとやさしい言葉をそそぎながら、おしりをきれいにして、新しい布おむつをあててくれる。
「なんて気持ちいいんだろう」「この人といるといつも幸せ」「この人、大好き」。
そうした体験の継続と積み重ねが子どもと特定の大人の人との間に豊かな愛着関係をはぐくみ、その愛着の心こそ、その子の豊かな成長を長く支えてくれる土台となります。
ゆえに、豊かな人間の成長は、布おむつから始まるといっても過言ではありません。
洗濯は少しばかり大変かもしれません。
でも、お子さんの明日の心地よさそうな笑顔を思い浮かべれば、やがて喜びに変わるかもしれません。

もう少し、布おむつと紙おむつの違いについて、教えてください。

今や紙おむつは全盛期を迎えています。
入園時の面接で「園では布おむつしか使いません」と説明しますと、「布おむつは持っていません」とお答えになる方々が年々増えています。
「簡単」「便利」「使いやすい」が紙おむつの需要をどんどんのばしているのでしょう。
布おむつの命運は今や風前の灯といった感じです。
しかし、かつて紙おむつは、ほとんど使われていませんでした。
理由があります。布おむつは、紙おむつにはないいくつかの利点があります。
布おむつは濡れた感覚が赤ちゃん自身にすぐにわかります。
濡れた感覚による不快感とひきかえに、替えてもらったときの爽快感がたまらない。
このおむつ替えの行為に、実は子育ての重要なポイントがあります。
実はこのとき、人間の感覚器官を育てるために最も重要とされている感覚が育っているのです。
生まれた直後の感覚経験が不足すると、やがて思春期を迎えた頃、人との関わりが苦手で、空想の世界に逃避しがちになると警告する学者もいます。
布おむつによる感覚経験の学習の結果として、不快感を泣いて訴えれば大人が来てくれるという大人への信頼惑が育つと期待されます。
スキンシップも生まれます。
スキンシップで心の距離が近くなれば、大人の側も、子どもの欲求に自分を自然に感覚的に合わせていくことができるようになります。
紙おむつは濡れた惑党が赤ちゃん自身にわかりにくいことが長所である反面、替え時を赤ちゃんが泣いて教えてくれなくなる短所もあります。
そのため最近では、濡れたサインを大人が目で確認できるようになった製品も出ていますが、それではいつまでたっても大人も子どもも大切な「感覚」が育ちません。
今、子育ての中で一番大切とされている親子の基本的信頼関係が育っていく上で、布おむつはあらためて見直されるべき時がきていると言えます。
おむつかぶれの点でも、布おむつに利点があります。
紙おむつは長時間替える必要のないことがコマーシャルで堂々と流されたことがありましたが、その時期、現場にいて、週明けの子どもたちの痛々しいお尻の状態を見ていた私はいたたまれなくなったものです。
経済的にも、兄弟、親戚と使いまわしのできる布おむつは、最近の高級な使い捨て紙おむつに比べて、格段に合理的です。
その関連でいえば、環境問題、ごみ問題も無視することはできません。
紙おむつは化学物質である高分子ポリマーからできており、そのこごみの量に占める割合の多さに自治体では頭を痛めているそうです。
最後にひとつだけ、例外を述べると、冬期の間、乳児クラスでは下痢症状が多くなります。
ロタウイルスによって起こると言われるこの病気は感染力が強く、激しい下痢と嘔吐をともないます。
このような水様便では布おむつでは漏れてしまい実際、症状によっては紙おむつを使わざるを得ないこともありますが、これはあくまで特別な場合です。
そこは上手に使い分けしてまいりますが、ふだん園ではできる限り、布おむつにこだわっていきたいと思っています。
そのために、どうしてもという希望者には理由や状況によっては、有料ではありますが、園で洗濯を提供する場合もあります。
そうまでしてこだわるほど、布おむつは子どもの成長にとってかけがえがないものと考えています。

つくし保育園は、なかなかおむつをはずしません。

かつて、保育園に乳児を預ける最大のメリットは「早くおむつをはずすことができること」だとわれており、保育者もその期待に応えるべく努力していました。
「Aちゃんは15分おきにトイレに」「Bちゃんは20分おき」と、絶えず時間を気にする毎日で、時間がくれば何をしていてもまずトイレ。その日1日1枚をバンツが濡れなければ大成功。
お座りができるようになったら、早速おまる。
歩けるようになったら、すぐにトイレ・・・と、まさにトイレット・トレーニングと呼ぶにふさわしい訓練の始まりでした。
1歳児の保育目標の最も重要な点は、いかに早くおむつをはずすかでした。
けれども、早く卜レーニングを始めたからといって、早くしつけが完了し、自分の行きたい時にトイレに行って失敗なく用を足せるかというと、決してそうではなく、大変個人差があるのです。
だとすれば、子どもが集中して遊びこんでいる時、それを中断させてまでトイレに行かせる必要があるのか?果たして、布団やじゅうたんの上でおもらしをしてしまった子どもに笑顔で応対できるのか?など、悩みはつきませんでした。
いろいろ悩みつつ学んでいくうちに、子どもの発達成長のメカニズムを科学的にとらえる考え方に出会いました。
例えば、いかに早く卜レーニングを初めても、脳の回路が接続でき、膀胱がいっぱいになって排泄したいという思いを脳に伝達できなければ、おむつをはずしても自立は難しいのです。
具体的に言えば、1回の尿量が100ccを超え、間隔が1時間あくようになって初めて、おむつをはずし、自立することができるようになります。
排泄の自立と知的発達の良し悪しは実は全く関係がありません。
人間の赤ちゃんは未完のまま生まれ出て、きわめて自然にこれらの生理現象を習得し、克服していくのです。
女性の初潮の時期が何時なのかわからないのと似ています。
私たち大人にできることは、決して叱らず焦らず、子どもの力を信じて、その時を待つこと、その時を知ること、です。
排泄のこだわりは長引くと言われています。
どうぞ叱らないでください。
排泄の自立前の乳児期に入園されたら、どうぞ担任保育士にお任せください。
一番その時期が把握できる立場にいますから。

おはしを早くから使わないのですか?

「お家ではとっくにおはしを使っているのに、園ではまだスプーンなんですか?」とお母さんから質問を受けたり、「早くおはしにしてください」と訴えられたりすることがあります。
以前はつくしでも、早くからおはしやはさみを使っていました。
「早くすれば早く身につく」「早いことは良いことだ」という価値観に、保育者が支配されていたと反省しています。
スプーンの持ち方は、実はその子の手指機能の発達と深く関連しています。
初めてスプーンを持つ時は、ほとんどの子がスプーンの柄を上から握る「上握り」と呼ばれる持ち方をします。
これは手首の回転がきかす、ひじの上下運動だけで口に運ぶやり方です。手首の回転ができるようになると、スプーンの柄の端っこを親指、人差し指、中指の3本でつまむように持ち、やがて下から持てるようになり、この時には指も1本1本が独立して動くようになり、この持ち方ができて初めておはしも自由に使えるようになります。
さらに、この持ち方が将来鉛筆を持ったり、はさみを使いこなしたりする基本になるのです。
間違った持ち方がインブットされてしまった場合、それを修正することは非常に難しく、子どもにとっては大変な苦痛になります。
大人になってもおはしが正しく使えない人は結構多いでしょう。
だから、園では持てるようになるまで待つことにしています。
それまで手指の機能を十分使う遊びをたくさんこなすことが大切になります。
身体全体を使う外遊びや、手指の機能を十分使いこなし、集中力を養う室内遊びも両方とも大切にしていきたいのです。
もちろん、赤ちゃん時代ハイハイをしっかりすることも手指の機能を養う上で大切なことなのです。
園では一人ひとりの様子を見て、おはしに切り替えていきます。
異年齢グループではおはしを使っている年長・年中の子どもたちと、スプーン・フォーク中心の年少の子どもたちが同じお部屋で過ごします。
おはしを正しく使えるモデルと一緒に食事をすることで、年少さんもお箸を持つ時期が早くなるのではないかと期寺しています。
お家でもスプーンを下握り持ちするようになれば、おはしを使ってみてください。
おはしの使い方を身につけるにはまわりの大人が正しい使い方の手本を見せてあげましょう。

つくしの子どもたちは、なぜ保育者を「先生」と呼ばないのですか?

つくしの子どもたちは保育者を名前で呼んでいます。「ゆみさん」「なおこさん」など、かわいい声で呼ばれると思わずにっこり。
保育園が子どもにとって家庭に代わる生活の場であり、保育者はお母さんお父さんについで、子どもにとって身近な存在でありたいとの願いから、私たち保育者が「先生」よりも名前で呼ばれることを望んでいるというわけです。
「先生」というのは、一般に「何かを教えてくれる人」あるいは「高い技量や知識を持つ人」に対する敬称ですから、どうしても教え教えられる関係、評価し評価される関係がでてきます。
それよりも、私たちは子どもたちの成長を見守り、支え、援助する存在でありたい。
子どもと同じ地平に立って、同じ目の高さで心通わせあうことのできる喜びを味わいたい。
私たちが名前で呼ぶ取り組みを始めてから20年ほどになリますが、最初はとても反響がありました。
賛成、反対いろいろでした。
大人を尊敬しなくなるとか、けじめがつかなくなるとか言われました。
違和惑もあったかもしれません。
今でも「先生」と呼ぶ子どももいますが、それもいいと思っています。
無視したり、訂正したりするような問題でもないし、ごく自然にいつのまにか名前で呼びあえるようになればいい。
かつてはちゃんづけで呼んだこともありましたが、なれなれしくなりすぎる傾向が出始めたかなという反省から、まず私たちがお互いを意識してさんづけにし、今では子どもたちのほとんどがさんづけで呼ぶようになってきました。
親しいだけではなく、信頼できる存在としての身近にいる大人になりたいと願いつつ。
保護者のみなさまも保育者をさんづけで呼んでくださったらうれしいです。

つくしの環壊への取り組みは、どうしていますか?

つくし保育園では子どもたちと一緒に地球の緑を守ること、環境を汚染しないことを大切にして、早くから意識的に環境問題と取り組んでまいりました。
☆つくしの園庭にはたくさんの樹木が植えられており、畑では野菜や草花を育てています。緑の葉はCO2を減らしてくれます。
☆河川をきれいに保つため、園では長年洗濯には粉石けんを使い続けてきました。冬場は解けにくくお湯を使う必要があるなど結構手間がかかりますが、粉石けんを使い続けることで、私たちの問題意識が持続すると考えています。
☆かつてプールをやっていた時代は、塩素消毒も出来る限り避けてきました。肌の弱い子どもがいることを考えて、園でプール遊びをするときは、ずっと水道をあけて水を流しつづけることで清潔さを保ってきました。ちなみに、現在プールを取りやめているのは、近年の夏の高温傾向で熱中症の危険が増していることや全国的にプールでの事故報告が後を絶たないこと、また、コロナ対策で塩素投入が行政により義務化されたことなどから、総合的に検討したものです。
☆2004年春には電解水生成装置を設置し、園内の施設、備品などを酸水で消毒することにいたしました。いま私たちにできる環境を守る方法を、やがて子どもたちも考えながら実践していってくれればと願っています。昨今のコロナで広く電解水の効能が広く知られるようになる15年以上も前のことでした。
☆調理室から出る生ごみについては、毎日のことなのでかなりの量になります。かつては庭の畑のコンポストで処理してきましたが、すぐ一杯になってしまうので、調理室の改造を機に、家庭用のごみ処理機を4台購入いたしました。やがてそれも間に合わなくなり、ついに2019年、京都市の助成により、業務用の生ごみ処理機を導入しました。これによって、生ごみの減量化、肥料化、リサイクルがより一層進んでいます。つくしの畑で子どもたちが育て収穫する野菜や、園庭の果樹のみのり、すべてがいま、こうして作った安心安全な有機たい肥で育てられたものです。
☆2008年、つくし•おひさま発電所が完成し、太陽光発電が保育園の屋上でできることになりました。園舎の玄関脇には発電量を表示する表示盤がつけられ、おひさまが出て発電量が多いと、きらきら光って知らせています。発電量は4KW。ささやかではありますが、自然のエネルギーを利用する発電です。保護者のみなさまの中から、おひさま発電所を作る運動の母体である「きょうとグリーンファンド」をご紹介いただき、理解ある企業や、関心ある市民のみなさまのご支援をいただき、さらにつくしの卒園児ご近所のみなさま、在園時保護者のみなさまのご協力を得て、ようやく完成いたしました。感謝しています。
私たちの身近なところから、私たちができることから、地球環境を守る運動を維続的に続けていきたいと願っています。

いつから除去食に取り組んでいるのですか?

つくし保育園が除去食を始めたのは30年近くも前のことです。
初めは卵のみを除去、牛乳を飲ませないといった簡単な除去でした。
それも保護者から頼まれて、半信半疑で、本当にアトピーの原因は卵なの?と疑いつつ始めた次第でした。
やがて、アトピー性皮膚炎に悩む子どもたちが増えて、私たち保育者や調理室職員も、何とか子どもたちの症状を軽くする手だてを学びたいと研修を重ね、除去食と真剣に取り組み始めました。
かゆみのためにいらいらして眠れない、かき壊して血を流すといった子どもたちがアレルゲンとなる食品を除去することによって、ゆっくリ眠り、きれいな皮膚を取り戻した時、大変だったけれども、除去食と取り組んできたことにやりがいを感じました。
始めた当初、アトピー性皮膚炎に対する医学会の見解は様々で、これといった治療法が確立されているわけではありませんでしたが、今では食物アレルギーがアトピー性皮膚炎を引き起こすことは小児科医の間でも常識になっています。
保護者の方の希望(お家でも同じように除去していただかなければ、園だけ取り組んでも無駄になります)と医師の診断書、指示書がなければ、始めないことにしています。
20年程前には、除去食をしている子どもたちが栄養失調になると騒がられたことがありました。
つくしで当時、除去食を食べていた子どもたちの身長や体重ののび方や出席状況を調べましたが、問題はありませんでした。
出席率も平均以上で、むしろ健康であることが証明されたほどでした。
できる限り除去した食品に代わるものを入れて食事を作るという調理室の努力もありました。
保育の現場では誤食のないように、細心の注意を払う必要があり、保育者は緊張しています。
少しずつ食べられる食品が増えて、アトピーも良くなっていく、できれば学校で給食が食べられるように願っています。
そのために年に2、3回は医師の診断を受けていただきたいのです。
除去食を始めてから、つくしの食事内容が変わりました。
洋風献立が減り、野菜や魚を中心とした和食献立が多くなりました。健康に良い食事です。
除去食をすることで、園全体の食事が良くなった。いい結果になって感謝です。

つくしは、文字を教えないのですか?

こんな研究があります。
「3歳入園時にテストを実施し、4歳児10月頃からワークブックの使用、ノートに一斉に一字ずつの練習開始、5歳児になると算数も増え一斉に宿題も出て、各学期の終了時には評価表が親に渡されるといった園」と、「絵本などの環境を整えながら子どもの興味や関心に応じて文字に触れあっていく園」を比較すると、読書レディネス(①お話を聞く、②絵本を読む、③文字を理解する、といった読書開始を支える能力)テストの結果は、3,4歳児では文字指導を受けた子どもたちの方が高かったものの、5歳児では逆転し、特に受けていない園の子どもの方が高くなっていました。
みなさんは、『ぐりとぐら』(中川李枝子・大村百合子、福音館書店)の絵本を知っていると思いますが、では、どちらが「ぐり」で、どちらが「ぐら」でしょう?
つくしの子どもたちなら知っています。
文字を読む前の子どもだからこそ、絵を読みます。
耳から聞いた言葉と目で見た絵が1つになって、子どもの中に絵本の世界が生まれます。
実は文字を習得する前の「絵を読む」時代こそが大切であるという研究もあります。
耳から入る言葉と目で見る絵が1つになった豊かな絵本の世界をたっぷり味わう経験を、つくしでたくさんしてほしい。
つくしの保育はいつも絵本と共にあります。
つくし園庭のログハウスでは3千冊以上の絵本が子どもたちを待っています。
乳児は、絵本と共に、保育者が歌い届ける「わらべうたの世界」にも毎日親しんでいます。
「文字」をいやいや教え込まれやがて息切れするよりも、人と人が気持ちをかよわし、心をおくり届けるやさしい「言葉」に日々たくさん触れ合い、絵本やわらべうたの豊かさ楽しさを運んでくれる「言葉」を大好きになってほしい。
そのようにして、それぞれの心の中に自然に芽生える言葉への興味や関心こそ大切にしてほしい、そう願っています。
(参考:横山真貴子『幼児期の文字の読み書きの学びについて:絵本の絵を読むことの面白さと大切さを通して』2020年)

子どもの作品を絵画コンクールに出品しないのはなぜ?

醍醐地区、京都市、あるいは園単位で、絵画展や制作展が開かれています。京都ではそうした行事がとても盛んに行なわれています。
また、絵の具のメーカーが主催したり、後援したりする形でのコンクールもいろいろありますが、つくしでは、いわゆるコンクールには出品したことがありません。たまに「もっと積極的に出品してはどうか」とのご意見をお聞きすることもあります。
では、つくし保育園は子どもの絵をどうとらえているのでしょうか。
①子どもの絵の発達には順序性があります。それは世界の子どもたちに共通するものです。教え込んだり、訂正したりする必要はありません。
②ある程度自由に表現することができるようになると、文字を獲得する以前の子どもにとっては、絵を描くことが自分の気持ちを表現する手段となります。大人は子どもの絵から、その子どもの訴えや感情の発散を理解することができます。
③一方、絵画展などでは、子どもの絵画に『絵画性』を求めています。鑑賞に耐え得る、いわば芸術的な側面です。絵を描く楽しさを知った子どもたちはすばらしい持ち味を発揮します。この段階では保育者の指導性も問われます。
①や②の段階を大切にして絵画活動をする保育園もあれば、③の段階に力を入れる保育園もあります。
つくし保育園では一人ひとりに自由な活動を保障したいと考え、コーナーを設けて保育しています。
随時、絵の具やマジックなどの用具を準備して、好きな時に絵を描くことができることを目指しています。
どの子も絵を描くのが大好きで、のびのびと楽しく描き、その結果として絵画性の高い作品になれば理想ですし、どの子もその可能性を秘めています。
絵画展には限られた枚数しか出品することができません。
そこで何かを基準にして『選ぶ』ことになります。
『評価』することにもなり、それはつくしの保育と馴染まない側面を持っています。
どの絵もその子にとってはかけがえのない作品で、その過程を知っているのは私たち保育者なのですから、あえて絵画展には出品したくないわけです。
大切なのは人よりうまく描けることではなく、自分らしい表現ができること、絵を描くことの楽しさを体験的に知ることだと思います。
「競争原理が教育の現場ではあまりにも強すぎる」と日本政府が国連から忠告を受けました。
保育現場に競争原理は不要だと私たちは考えます。

園でお薬を飲ませないのですか?

以前はつくし保育園でもお医者さんで処方された薬を園でお預かりして飲ませていたこともありました。
しかし、1日何人もの子どもたちに食前、食後、食間とそれぞれ異なった時間に、忘れないよう、決まった量を間違えずに飲ませるのは大変に神経を使う作業です。
しかも保育室には薬を保管する冷蔵庫もありません。
毎日のように切れ目なく薬を持って登園してくる、明らかに予防的に薬を飲ませられている子どももいて、これでいいのだろうかと心悩ませました。
容器には一回分だけ入れてくださいとお願いしても、そのまま持ってくる人があったり、名前がなかったり、同じ名前の子ども二人いて間違えそうになったり。
その頃研修会で、小児科学会では高名な巷野悟郎医師が「本来、与薬は治療行為であって、医師か看護婦が行うもの。母親はともかく、保育園で保育士がすることは問題である」と発言されたのを聞き、安易に薬を預かって飲ませていたことを反省するきっかけとなりました。
つくし保育園には、アトピーで卵や小麦を完全に除去しなければならない子どもたちがいます。
薬の材料には卵や小麦を使ったものがあることはあまり意識されていません。
これを間違って飲めば、命取りになりかねないことになります。
最近は抗生物質が効きにくい耐性菌が増え、中耳炎やとびひなどの身近な病気も非常に治りにくいものが増えているとのことです。
また、「細菌検査もせずに抗生物質を多用する医師の多いことが要因とされている」と最近の新聞が報じています。
与薬の時間ですが、「1日3回毎食後」の指示の湯合、保育園の昼食時間帯が11時30分から12時の間ですから、昼食後の与薬では朝食との間が短くなり、逆に夕食後との間隔が開きすぎることになります。
これを朝、夕、眠前に飲んでも、また、1日分を朝夕の2回に分けても差し支えない薬も多いそうですから、主治医とご相談ください。
できるだけ薬に頼らず、元気な子どもでいて欲しい、それが私たちの願いです。
(最近になって、与薬を医療行為の範囲からはすし、園でも与薬ができる方向になってきましたが、園としては今まで通りの方向で行きたいと考えています。万が一、与薬の必要がある場合は事務所にご相談ください。)

乳児には連絡ノートがありますが、幼児にはありません。

他の園から転園してこられた乳児クラスの保護者のみなさまは、つくしの連絡ノートが独自のものであることに戸惑いを感じられるかもしれません。
乳児のノートは、すみれクラス(0歳児)の中でも月齢によって異なった種類のものを使っていますし、ゆりクラス(1歳児)1年間と、ひばりクラス(2歳児)前半までは、子どもの生活を細やかに書き込む、園で作ったノートを使用していただいています(ひばりクラス後半になると書き込むスペースが少なくなっていきます)。
園生活をスムーズに無理なく過ごすためには、ご家庭との連絡が欠かせません。
それが結果として、貴重な成長の記録として残っていきます。(園には毎日担当保育者は日誌を記入していますので、それが記録として残ります)。
乳児の場合、クラス担当は複数で、日誌やノートを記録するのは保育者の大切な仕事です。保護者のみなさまにはご協力いただき、感謝しています。
幼児クラスでも、かつては出席ノート(出席シールを貼るもの)を使ってきました。
裏面に連絡事項を書く欄がありました。ただし、利用される方は1割ほどでした。
出席シールそのものが、もともと保育園では伝統的に使ってきたものではありますが、改めてなぜ必要なのかということを議論してみました。
結局それは皆勤賞的な、出席を奨励する発想から出てきたもの、保育園でも学校でも欠席することはよくないという発想からきたものではないかと思い当たりました。
そこには保育園に行きたくても行くことのできない病気の子どもに対する配慮はありません。
また、普段お母さんお父さんと一緒に過ごすことの少ない子どもたちが、たまの両親のお休みに保育園も一緒にお休みして、みずいらずのかけがえのない時間を過ごすことは、むしろ、望ましいこと。
そう考えて、出席シールをやめることにしました。
代わりに、お便りを入れる袋を用意しています。
必要な場合はその袋に、メモ、手紙をいれてください。担当からお返事いたします。
成長するにしたがって、子どもたちは自分の口から園であったできごとをおうちの方に直接報告できるようになっていきます。
ぜひとも、おうちで子どもたちと「今日保育園でどんなことした」「どんなこと楽しかった」と会話を弾ませてください。
もちろん、朝夕に保育者と直接会って、園での様子を聞いていただくこともできます。
その他、園に対するご質問やご相談などがあれば、個人懇談の機会に、あるいは事務所にはいつでもお越しくださって結構ですので、お待ちしています。

「育児担当制」って何ですか?どういうメリットがありますか?

つくし保育園では育児担当制を取り入れたいと頼いつつ、15年位前から、実験的に0歳児クラスで試みたことがありました。
その結果、子どもと保育者の絆がとても強くなり、子どもの情緒が安定することがわかりました。
これは、もともと乳児保育の盛んであったヨーロッパ(ハンガリー)で始まった保育理論で、最近になって日本でも導入が進み、1999年秋に厚生労働省の出した新しい保育所保育指針にも導入するよう明文化されました。
けれども実践している保育園は京都ではほとんどありません。なぜでしょうか。
私たちも初めて導入した時、成功するかどうか半信半疑でした。育児担当制ってどんなシステムでしょうか?
0歳児では国の基準で子ども3人に保育者が1人と決まっています。
もし9人の子どもがいれば3人の保育者がつきます。
それまではその3人が9人の子どもの世話を全体的にしていました。
その時々で、動ける人が動く、おむつの交換、授乳抱っこなどの子どもの世話を手のあいている人がするというやり方でした。
その湯合、特定の人でなければいやだと言う子どもは、大人にとっては困った子と言われかねませんでした。
子どもにとって望ましい発達であるはずの愛着行動でさえ、否定せざるを得なかったのです。
それに比べると、育児担当制ははるかに子どもの立場に立ったシステムです。
赤ちゃんにとって、おうちで世話をしてくれる人は大抵一人、その人のおむつの替え方、寝かせ方・食べさせ方に、一定のルールがあるはずです。
けれども保育者が3人いればそれぞれ違います。
一人の人に世話されることによって、赤ちゃんは安心でき、情緒が安定します。
また、特定の大人への愛着関係、信頼関係が芽生え、世界に対する信頼惑、生きる自信につながっていくと言われています。
本来、それは母子関係において大切だと言われていることですが、保育固にいる時間が、家庭で起きている時間より長くなることもある子どもにとっては、保育者の存在はお母さんに近いものだといえます。
このシステムは担当制を運用するために、時間の流れと保育者の動きがきちんと決まっていて、しかも臨機応変に動かなければ機能しません。
また、担当者が決まっていることによって赤ちゃんの微妙な食欲の変化や体調の変化、成長ぶりなどを見逃すことがありません。
と言っても、育児(生活面の世話)以外の遊びの場面ではクラス全体の子どもと関わっていますので、担当者が休んだ時も特に不安がることはありません。
子どもの園への順応の仕方が早くなり、泣くことが減っているなど、ここ数年、園全体としても変化がわかるほどです。
保育室での子どもの表情、落ち着きをみれば、保育者にとっては大変だけれどもやりがいもあり、担当制にして良かったと実惑しています。

つくし保育園に運勁会がないのはなぜですか?
また、0~2歳までの子どもたちが参加しないのはなぜですか?

つくし保育園では毎年「例年」ということにとらわれず、初心に立ち返って行事のあり方について考えてきました。
その年の子どもたち一人ひとり、またクラスの様子も違うからです。
日本の保育園の行事の歴史をさかのぼってみますと、小学校以上の学校行事をそのまま取り入れたものが多くその中でも『運動会』の起源を探ると、明治以降、軍国主義教育の集団訓練の一環として始まったことがうかがえます。
このことから私たちは、保育園で生活している子どもたちにとって、この行事が必要であるかどうかについて話しあってきました。
園の歴史を振り返ってみますと、様々な疑問を抱えながらも、開園当初は個性を大切にした自由表現を取り入れる一方、個人競技や組体操、鼓笛隊など、いろいろな種目や形式を試みていました。
乳幼児がここまでできる!ここまでよく頑張った!と大人が見て満足惑を覚えるような『運動会』をしていた頃もありました。
でも、疲れきった子どもたちの様子を見るにつけ、このままでよいのかと悩み、子どもたちの個性と自分からやってみようとする意欲、そして健康を尊重することを基本において、『運動会』への取り組みを考え直すようになりました。
乳児クラスの子どもたちも、最初は無理のないように十分配慮しながらも参加という形を取っていました。
子どもたちにとっては、長時間、直射日光や砂ぼこり、そして騒音の中に置かれることは、精神的にも肉体的にも苦痛であり、望ましくないということから、乳児クラスは普通保育を行うようにいたしました。
そして日常の生活の中で、乳児クラスが運動遊びをしているところに遊びに行って、子どもたちどうし一緒に楽しみました。
そこには自分よりも小さいお友だちをいたわる和やかな一時が生まれています。
名前も『運動会』→『のびのびうんどうかい』→『うんどうあそびのひ』→『いっしょにあそぼう・うんどうあそびのひ』、さらには『いっしょにあそぼうのひ』へと変わってきました。『いっしょにあそぼうのひ』はできるだけ日々の子どもたちの遊びから生まれてきたものを大切にし、「見せる」のではなく、子どもたちがどれだけ「身体を動かすことって楽しいな!」と感じられるかを目標にして、おうちの方も「見る」という立場ではなく、「一緒に楽しんで」いただく「いっしょに遊ぼう」という形ができあがってきました。
子どもの遊びは生活そのものであり、その中で様々なものを自ら学んでいきます。
教えられたものと違い、友だち同士の遊びを通じて、身をもって覚えたことは忘れず、これから生きていく上での土台となります。「00ができる」「00ができない」という評価をするのではなく、様々な体験を通して、「00することが好きになる」幼児期に、このことをひとつでも増やせることがこれからの人生の土台となっていくことと思います。
好きなことであれば、自分からやってみようとするし、自然にできるようになるのです。
子どもたちは、日々忙しいおうちの人のことを十分に知って気遣い「一緒に遊んで!」と言うことを我憬している子どももいます。
「もっともっといっぱい遊んでほしい」という子どもたちの姿から、わらべうたを中心に親子の遊びをいっぱい紹介し、子どもたちが大好きな親子のフィールドアスレチックを広げて、主体的に遊びを選択しながら楽しめるように工夫してきました。
おうちの方が迎えに来られるとホッと安心して再び遊びこむ子どもたち。
ですから、ビデオやカメラのバインダーを通してではなく、あたたかいまなざしを向けてほしいと思います。心通わせるひとときとなりますように。

つくし保育回が異年齢保育をしているのはなぜですか?

少子化が進む今の日本では、かつてのような隣近所の子ども同士のふれあいがなくなって久しいと言われています。
また、兄弟の数が少なくなったことで、たとえ2人いたとしても一人っ子が二人いるのと変わらないと言われることもあります。
そのために生じてくる人間関係の葛藤のなさ、深まりのなさ。かつての子ども社会の持っていた遊びの伝承や、年上の者が年下の者をいたわったり、冒険に誘ったりすることも、ほとんどなくなってしまいました。
そういった遊びが展開された路地裏もなく、交通事情の悪化から外遊びが極端になくなり、高学歴を目指す社会は早くから子どもたちを塾へと追い立ててきました。
社会の変化によって失ったものはあまりにも大きいけれど、少しでも私たちで補えるものがあれば・・・と考えてきました。
そこで異年齢保育への挑戦が始まりました。
それまで年齢別保育ではどちらかと言うと、どんぐりの背比べ状態になり、ある程度以上のレベルをクリアすることは難しかったのですが、異年齢保育になると、年長の子どもたちの遊びを模倣することによって、年中、年少の遊びが発展しています。
一方、年長児は年下の子どもたちに対する優しさが育っています。
おうちでは長男・長女であっても、園では年下(弟妹役)になることもあるし、おうちでは末っ子であっても、園ではお兄ちゃんお姉ちゃんの立場に立てるのです。
そこでは自然に育ちあう姿が見られます。
2003年度から私たちは異年齢保育に向かう準備段階として異年齢交流をし、クラスの枠を超えて縦割りのグループを作りました。
お散歩に出かけるだけで子どもたちの意識が変わり、園庭の自由遊びも変わってきました。
年齢を超えてグループで、はないちもんめや鬼ごっこなどに夢中になる姿が見られるようになりました。
その期間を経て、つくし保育園の年齢別保育の中で積み上げてきた保育がさらに新たな展開を遂げることを頼って、異年齢によって、スムーズに始めることができました。
1年を通して、怪我やトラブルが驚くほど減りました。
そして今、年長さんは、年中・年少の憧れの的。
早く年長さんになりたいと思い、尊敬のまなざしで見ています。
卒園式では、年長さんとの別れを惜しむ年中さんが真剣な表情で式に参加する姿が印象的でした。年長さんは期待され自信にあふれ大きく成長しています。
就学の近づいた年長さんには、年長だけで過ごす時間も必要になってきます。
年長クラスはお昼寝をしませんので、午後の時間は年長だけですごし、年長としての課題はこの時間を有効に使うことによってクリアしています。
これまで異年齢保育を実践してきた結果、当初は予想もしなかったほどの子どもの心の成長、絆の深さに感動を覚えることがしばしばあります。

つくし保育園が『お家でもなるべくテレビやビデオ、スマホを見ないようにしましょう』とよびかげているのはなぜですか?

ずいぶん前に、アメリカの小児科学会が2歳までの子どもにはテレビを見せないようにとの警告を発しましたが、日本ではあまり報道されませんでした。
続いて日本の小児科学会でも同様の動きがありましたが、それに対する反論も出されたりして、これまた軌道に乗りません。
しかし、現実に保育園に来ている子どもたちのことを考えてみましょう。例えば、1歳児で「言葉がなかなかでない」「よく動き回っていて、遊びに集中できない」「目があいにくい」などの問題を抱えている子どもの場合、「お家でテレビを見ていますか?」とお聞きすると、「いつも家にテレビがついていますが、この子は見ていません。時々コマーシャルを見る程度です」との答えが返ってくることがほとんどです。
確かに1歳程度の子どもが、テレビを集中してみることは少なく、あたかも見ていないように見受けられます。
けれども、絶えず室内を飛び交う機械音と光の点滅に、幼い脳はさらされ続けています。耳に届く母の優しい子守唄や、語りかけよりもいつも切れ間なく届く機械音。人の言葉への反応は遅れがち、母の顔よりテレビのコマーシャルが子どもの目をひきつけているとしたらどうでしょう。
幼い子どもがよりよく育つ環境とは言いがたいのではないでしょうか。
そこで、「お家でテレビを消してみてください」とお顔いし、実行してくださると、子どもはたちまち変わります。言葉が出始め、遊びに集中し始めるのです。実際に両親が「テレビの影響がここまで大きいとは・・・」と先ず驚かれることが多いのです。保育の現場で経験している事実です。
幼児クラスになっても事情はさほど変わりません。
テレビ視聴の多い家庭の子どもさんはやはり落ち着かず集中して遊べません。
テレビのヒーローになりきって、暴れてしまい、怪我をさせたりさせられたりの世界にはまってしまう子どももいるのです。
幸い、つくし保育園ではテレビ漬けになっているご家庭は減ってきています。
長らくテレビを見ない生活を続けてきたご家庭が、「ふとした機会にテレビを見始めたら、とたんに遊べなくなりました」としみじみ話してくださいました。
テレビなどメディアの影響はかくも強力です。
今やテレビやスマホのない生活なんて考えられない時代、家族みんながそれぞれ自分のテレビやスマホを持っている時代、気に入った番組や見逃した番組を画面に写して何度も繰り返してみることのできる時代、だからこそ、言いにくいことではあっても、子ども達のために言わなければならない使命を私たちは負っています。
学級崩壊の低年齢化も、子どもに言葉が届かないところから来ているのではないでしょうか?
母の声よリテレビやスマホの機械音に耳を傾けるようにしてしまったのは周りの大人。
歯磨きのしつけやパジャマ換え、などをお母さんやお父さんからではなく、ビデオから学んでいく子どもたち。
どこかおかしいとは思いませんか。子どもと大人の間の大切なふれあいの時間をなくして、ビデオの映像にまかせてしまおうする大人たち。
このことに何の疑問も感じない大人たちの感覚が子どもたちの距離を今や広げてしまって取り返しのつかないことになっているのではないでしょうか。
かつては、保育園ではテレビ・ビデオを見ません、お家でもなるべく見ないでください、でもご家庭のことはご家庭にお任せします、といった姿勢で来ていました。
でも最近の子どもの様子を見ていると、それだけではとてもおいつかないのではないかと焦りを感じ始めています。
ですから、子どもたちの成長のために、ぜひともお願いしたいのです。お家でもテレビやスマホを見ないでください。

つくし保育回で歯みがきをしないのはなぜですか?

つくし保育園でも25年前には幼児クラスで毎日昼食後に歯磨きをしていました。
ところが、そのまま歯磨きを続けてよいのかどうか、深く考えざるを得ない深刻な問題が起きました、それは血液を通して感染する可能性のあるHIVや肝炎などの感染症が知られるようになり、世間を不安に陥れたからです。
園としてもその予防策を検討する必要性が出てきたのです。
歯ブラシは歯茎からの出血により、感染の媒体となりうる危険性が指摘されていました。
もともと、園での歯磨きには問題もあり、私たちの悩みの種でした。
歯磨きが虫歯予防に大きく役立つと、誰もが信じていた時代でした。
園で菌磨きを始めたのも、虫歯を減らしたいという思いからでした。
毎食後、1日3回3分間の歯磨きが必要と言われ歯磨き指導は京都市の保育課から年1回派遣される歯科衛生士の方が子どもたちにわかりやすく、イラストや歯形の大きな模型を使ってしてくださっていました。
しかし、日々の歯磨きの現場(昼食を食べ終わった子どもから順番に水道のある手洗い場まで行って歯磨きをする)に保育士がつきっきりで見守ることは無理がありました。
子どもたちが自由に振舞える時間になりがちで、歯ブラシを使って水道のカランを磨いたり、キャラクターのついた歯ブラシを交換したり、口にくわえて走り回ったり(その頃、綿菓子の割り箸を口にくわえて命を落とした悲しい事件もありました)と、危険がいっぱいの実情があったのです。
しかも、歯磨きは丁寧に確実にしなければ意味がないといいます。
やはり子どもだけに任せるのは無理があります。
習慣づけという観点から考えても、小学校でも、昼食後に歯を磨くところはあまりないようですし、大人になって、昼食後に歯磨きをする人はまれなのが実情です。何を一番大事だと考えるか、思い悩んだ末に、園での歯磨きの中止を決めました。
口腔医学の分野でも、いろいろ変遷がありますが、「1日1回徹底してきれいに磨けば、24時間は虫歯菌が繁殖しない」という説を聞いたこともあります。虫歯予防だけでなく、将来の歯固病の予防のためには歯垢を取り、歯茎を鍛える必要があり、そのためには幼児期に一日一回でもいいですから、お家でゆっくり丁寧にお母さんやお父さんに仕上げをかねて磨いてもらうひとときを大切にして欲しいと願っています。
夕食後、「♪しあげはおかあさん♪」とうたいながら、お母さんやお父さんのひざに頭を乗せて、歯磨きの仕上げをしてもらうのは子どもにとってはほんとに幸せな一時です。
これからも、このひと時は大切に残していただきたいと願いつつ。